「負けそうになると逃げる?」、戦国の「いくさ」は私たちが想像するものとは違かった

歴史

どうも、ユウヒです。

今回紹介するのは、戦国時代の「いくさ」についてです。

 

早速ですが、皆さんは戦国時代の「いくさ」と聞いて、どんな戦いを想像しますか?

こんな感じの激しい戦闘シーンを思い浮かべますよね。

しかし、私たちが想像する「いくさ」はほとんどなかったそうです。

 

では、どのような「いくさ」が繰り広げられていたのでしょう。見ていきましょう!

 

プチ解説

「いくさ」とは、戦争の意。

戦国時代では、「いくさ」といった。漢字では「戦」「軍」と書く。

 

戦国時代とは?

いつから、いつまでが「戦国時代」なのか明確な定義はない。

ここでいう「戦国時代」は西暦1500年代の約100年間だ。

この時代は、これまで武士たちを束ねていた足利将軍が弱体化し、日本各地にいろいろな「戦国大名」が登場し、戦いあった。

 

プチ解説

戦国大名には、北条氏(関東)・上杉氏(新潟)・武田氏(山梨)・毛利氏(中国)らが登場した。

当時の「いくさ」はどんなだった?

当時の「いくさ」の流れを簡単に説明すると、

①悪口を言い合う。

②石を投げる。

③弓矢を放つ。

④負けそうになると、すぐに逃げる。

⑤「いくさ」、終了。

以上だ。

そのため、戦死者は少なかった。

我々が想像していた、チャンバラはほとんどなかった。

それは、刀では人を切ることができないため。

刀の主な用途は、敵の首を取るときに用いられた。

 

城を攻める時も包囲するだけ。(相手の降参を待った)

 

「騎馬隊の突撃」もフィクション

「騎馬隊の突撃」は、映画やドラマで映えるように作られたフィクションである。

 

実際は、馬から降りて戦った。

なぜ?

その理由は、三つある。

一つ目は、馬が小型であったためだ。

この時代の馬は、私たちがまたがると足がついてしまうほど小さかった。

 

二つ目は、高級であったためだ。

馬は高級品で、今でいうベンツぐらいの価値があった。

戦いで失うのは痛手だった。

 

三つめは、戦いにくいからだ。

馬上で闘うのは弱い

 

以上の三つの理由で馬に乗って戦うことはなかった。

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